「神谷さん、ひっどい顔ですよ?」
からかいと笑いをにじませた声を背後から浴びせられて、
セイは背筋がぴりりと緊張するのを感じた。
無視を決め込むつもりだったのに、声の主はさっさとセイの隣に並んで歩き出す。
朝から嫌な相手につかまってしまった。
明るい性格、爽やかな笑顔、剣道部でも一、二を争う剣の腕、
普通に考えれば格好いい先輩として慕えるはずなのに、
セイはこの沖田総司という男が苦手だった。
頭一つ分高い位置から、暢気な笑顔を向けられると、心に何かが引っかかってイライラする。
「寝れなかったんですか?あ、わかった神谷さんも昨日観てたんだ、深夜枠の…」
「観てません」
つい言い返して、セイはハッと口を押さえた。しまった。相手にしてしまった。
恐る恐る隣を盗み見上げると、にんまりと笑った顔と目があった。
心の中で舌打ち。ああ、奴の顔に「してやったり」とハッキリ書いてある。
「今日も神谷さんに勝った!」
「何がですか!」
こうなってしまうともう止まらないのはいつものことで、
剣道部では二人のケンカという名の漫才は日常風景だった。
「そんなに意地張らなくてもいいのに。神谷さん、私のこと好きでしょ」
「嫌いです」
うんざりとして吐いた言葉は、いつもより冷たい響きになった。
きらい、という言葉は口の中で苦い。
初めは、声が彼に似ていると思った。夢の記憶は目覚めるといつもおぼろげで、
実際は彼の顔も名前も声もハッキリとは思い出せないのに。
けれど、似ていると思った。初めて笑顔を向けられたとき、
身悶えるような懐かしさがこみ上げて身体中に歓喜が走った。
いるわけがない、夢の中の人物なのに。
「…また『先生』ですか?」
「!」
抑揚のない声と「先生」という単語にセイの肩が跳ねる。
「この間も言ってましたよ、寝言」
「えぇっ」
冷めた調子で続けられる言葉に、セイは必死に混乱しそうになる頭を宥めようとした。
違う。この人は知っていて言っているんじゃない。
知ることが出来るはずが無い。あれはセイの夢なのだから。
めまぐるしく顔色を変えるセイに何を思ったのか、沖田は呆れたような溜息を漏らす。
「夢に見るほど好きなんですか?」
「…へ?」
小さな会話の食い違いに、ようやくセイの中でパズルのピースがはまった。
沖田は、セイがどこぞの「先生」に恋をしていると思っている。
その彼を思って、夢にまで見ているのだと思っている。
まさか夢の中にしか現れない人物に恋焦がれているだなんて
まず想像も付くはずがないから、それは当然の勘違いだった。
本当のことを知られたら何を言われるかわかったものではないので、
それはそれで、セイにとって都合がいいことでもある。
「相手がいくつの人か知りませんけど、高校生なんて相手にしますかねー」
「そ、そんなのわからないですよ!年下好きかもしれないし…!」
演技ではない。とっさに反論が口に出るのは沖田が相手だから条件反射だ。
実際のところ、夢の中ではセイと「先生」はかなりいい雰囲気のような気がする。
「先生」は、セイに触れることを避けている気配があるけれど、
時々、思わず、というふうに手が伸びてくるときがある。
そろりと額を撫でられたときの指が、驚くほど熱くて…
「(ゆ、夢なのに…っ)」
思わず額に手をやって、セイは一人で赤くなった。
俯いて頬を染めるセイを沖田は今度こそハッキリと冷たい目で見た。
「片思いで泣くなんて、自己陶酔にも程がありますね」
「なっ…!!」
カッとセイの頭に血が上った。
そう、つい先日セイは大きな不覚を取った。
月の物の影響で身体がだるく、剣道部の活動の後眠り込んでしまったのだ。
そこをあろうことか天敵であるこの男に見つけられ、寝顔を眺められ、
夢の中で流したはずの涙を見られてしまった。
いつからかいのネタにされるのかと構え続けて数日。
何事も無く過ぎる日々に「やはり泣いたところは見ていないのでは」と
淡い期待を持ち始めた矢先のこの爆弾投下。
これだから、これだから、この沖田総司という男はやっかいなのだ。
少しでも「先生」に似ていると思ってしまった自分に腹が立つ。
「…最っ低」
あまりの衝撃と怒りに、漏れた言葉はシンプルで底冷えしていた。
「さ、最低って、私は本当の事を言ったまでですよ!」
若干のダメージを受けたらしい、沖田の声が半音上がる。
「…」
「大体あなた、そんなものにかまけてる余裕なんてあるんですか?
 来週には五稜高との練習試合だってあるの、に、」
「…」
「は、半端な気持ちで参加されたんじゃあ足手、まといに…」
「…」
確かにセイは夢の中の「先生」に恋をしている。
けれど夢の中の「セイ」は、今現実にいるセイとは少し違った。
「先生」が現実のどこにもいないのと同じように、
あの「セイ」も夢の中だけのセイだ。
セイは夢の中の「セイ」がうらやましかった。
彼女の想いがどれだけ切実なものかをセイは知っている。
背を貫く誇りにかけて、胸を焦がす想いにかけて、
彼の傍らに並び立ち、彼を助け、彼を守る。命が尽きるそのときまで。
そんな想いをセイは未だ知らない。
あの気持ち以上に強く気高いものをセイは知らない。
「そんなもの」だの「半端な気持ち」だの言っていいもののはずがない。
少なくとも、何も知らないこの男が口にしていい言葉じゃない。
「いい加減に…」
「ああ、もう、すみません!」
セイが足を止めて目の前の男を怒鳴りつけようとするのと、
沖田が足を止めてガバリと頭を下げたのはまさに同時だった。
「…は?」
風が起こり、セイの前髪が舞い上がり、そしてまたもとの位置にふわりと落ちるまで、
普段ははなかなか拝めない、沖田の後頭部をとくっりと眺めることになった。
「ごめんなさい、言い過ぎました!」
頭を下げたままの姿勢で沖田が言う。
「半分以上八つ当たりです!なんだかこう、最近モヤモヤしてて…」
そろそろと引き上げられた沖田の頬に朱が差している。
「神谷さんが真剣だってことくらい、見ていればわかります。剣道も…その、『先生』のことも」
もごもごと口の中で小さくなる声。セイは呆気に取られながら
元の位置に戻っていく沖田の顔を見上げ続けた。
「ちょっと、気になって。変な意味じゃないですよ!
 神谷さん、部で誰よりも良く働いてるし、がんばりすぎるほどがんばってるのに」
「えっ…そ、んなことは、無いですよ」
遮るようについ謙遜するような言葉が口をついて出た。
見つければいつも嬉々としてからかいにくるこの男が、そんな風に自分を見ていたというのか。
その事実が意外で、意外すぎて、セイはうっかり自分が喜んでいることに気が付いてしまったのだ。
「そんなこと無くないですよ。私だけじゃなく、みんなそう思ってると思います」
夢の中の光景がフラッシュバックする。
大きな手が前髪をくしゃりと撫でて、向けられる笑み。
認めてもらえたことが誇らしいのは、誰よりも敬愛しているから。
胸が甘く疼くのは、恋心があるから。
「(ち、違う違う違う!こいつは「先生」じゃないんだから!)」
心の中で悲鳴をあげて、セイは嬉しい気持ちを振り払った。
今怒ったばかりなのに、簡単に気持ちを動かされてしまったことが何より悔しい。
「この間、珍しく寝ちゃってたでしょ。あっちでもこっちでもがんばりすぎて、
 まさか体調崩すくらい悩んだりしてるのかなって」
「あ、あれはっ、ちょっと、オツキサマが」
「は?生理だったんですか?」
「!!!」
ずどんと落ちるような沈黙。
言われたことに理解が追いつくまでに数秒。
そして追いついたとたん、
セイの頭の中で大型の爆弾が爆発した。

「こ、この変態っ!!やっぱり、大っっっ嫌い!!!」













その後ちょっと変化があった二人の気持ち。
この現代総司はデリカシーに欠けますね;
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